悪性腫瘍を見つけてくれた事に感謝
2017年10月末、私についた診断名は『上咽頭がん』でした。
医師は進行している可能性や全国的にも上咽頭がんの症例数が少ない事や治療の可能性も考慮し、大学病院へ紹介状を書いてくれました。
告知された帰りに職場の上司へ電話で報告しました。
あまりに優しく声かけして頂けたので思わず泣いてしまいました。
この時期から涙が我慢できずに流れるようになりました。
子供たちに涙を見せないようにするのは大変でした。
『診断がつく』という事は何とも言えない感じです。
ですが、この時点でまずは原因を見つけて下さった医師には本当に感謝しています。
これまで原因がわからず悩み続け、気持ちがどこか不安定になっていましたが、闘う相手が見つかった事で納得する事ができました。
嫁が切迫流産で入院になる
告知された次の日、第3子を身ごもっていた嫁は切迫流産になり入院しました。
私の話が堪えたのは間違いありません。
連絡を受けたのは勤務中でした。
急いで帰るように言ってくれた上司や仲間に見送られ、妻が入院となった病院へ向かう途中、お願いだから妻とお腹の子を助けて下さい・・・。心の中で何度も願いました。
何でこんな辛い事が続くのだろうか。
これからどうなるのだろうか。
私は何をすれば良いのだろうか。
どうしようもない気持ちでいっぱいです。
病院に到着し、嫁からしばらくは絶対安静で入院にはなったが、お腹の子は大丈夫と聞いてとりあえず一安心しました。
本当に良かった。
・・・でも怖かった。
大学病院での診察に感動
私の話に戻ります。
上咽頭がんと診断されたら今度はどのくらい進行しているのかという新しい不安が襲ってくるようになりました。
上咽頭がんの場合、多くは脳が近くにあるため手術が難しいとされ、放射線治療と抗がん剤による化学療法が行われるとの事がインターネット上に書かれていました。
予後に関してはあまり良い事は書いてありませんでした。
そういった情報を見て、はっきり言って死ぬかもしれないと考えてしまうようになり、より世界が暗く感じるようになりました。
そんな中、大学病院受診となりました。
初日にはこれまでの検査結果の確認と現在の状態についての問診や内視鏡で上咽頭がんの確認を行いました。
診察回数も多く耳鼻咽喉科で2回、放射線科で2回と計4回も行いました。
その後、今後の方向性については色々な科が集まるカンファレンスという話し合いの場を設け、検討されていました。
カンファレンスが終了し、再び名前が呼ばれ診察室に入りました。
私の主治医になって下さったのは放射線科の医師でした。
何を言われるのだろうかと不安に思っていると、現在までにわかっている事と治療するにあたって足りない検査がある事について詳しく説明して頂けました。
また、治療を急ぎたくても残りの必要な検査が終了して、その後さらに治療計画には2週間くらい時間がかかってしまうという事を教えてくれました。
説明後、嫁と私の質問を受けてから「足りない検査に関しても早めにやりましょう」と言ってくれました。
目の前で電話をされ、検査の予約をしてもらいましたが、さすが大学病院という感じで検査予約はいっぱいで検査をすぐにはできないと言われているようでした。
まだまだ治療までには時間がかかるのかと落ち込んでいたら、なんと検査をさせてもらうために「なるべく急ぎたいですよね。上の人に直接交渉して何とか枠を開けてもらいます。ちょっとお待ち下さい。」と言って走って行ってくれたのです。
勝手なイメージですが、大学病院はかたいイメージがありました。
この医師はそんな私のイメージを一瞬で払拭してくれました。
本当に感謝しましたし、この方が主治医になってくれて良かったと思えた瞬間の1つです。
大学病院では主治医以外の方々にも優しく丁寧に接して頂けています。
確かに技術は必要です。ですが、治療を受ける側にも気持ちがあります。
当事者意識を持ち、向き合ってくれている事が少しでも伝わると受ける側も安心して頼れるんですね。
私も病院でリハビリの仕事をしていますが、改めて接遇や医療側の責任や使命などを考えさせられました。
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