本音と建前

普通にできない

病気になって人の目を気にするようになってしまったのか、職業がら人を診る事が多いからなのか言葉ではない人が発する表出(表情や仕草や態度など)をよく感じる様になってしまいました。

さらに心理学も学んでいるせいか、その仕草が何を示すかも良い意味ではない事も少しばかり理解できてしまいます。

気を遣ってもらう事はありがたい事だとは思います。

ですが、それがずっとだと何かを感じてしまい辛くなりますし、疲れてしまうのです。

例えば、歩くスピードを遅くしてあえて距離をとろうとしてたり、意識はこっちに向いているのに視線はあえて違う方向を見たり、いる事に気づいてないふりをしたり、話をしていても視線や話し方が不自然だったり。

気のせいではありません。

たぶん、僕でなくても敏感な人なら気付くと思います。

お互いに何も悪いことした訳でもないですが、心苦しくなってしまいます。

逆に僕が気にしてたり、気を遣ってしまうせいもあるとは思います。

普通にできないものですね。

僕も周りも。

病気ってこういう所も難しく感じます。

再発したので、なおさら僕とどの様に接したらいいのかわからなくもなりますよね。

ですが、中には変わらない人もいます。

言葉と他の表出がしっかりと合っていて違和感なく真っ直ぐ心に伝わってきます。

そういう人達からはより多くの勇気やあたたかさなどプラスに変わる力をもらえます。

これは本音と建前なのでしょうか。

察しと思いやりを大切にする日本人ならではなのでしょうか。

コミュニケーションとは奥深いものですね。

患者さまと接する時にも中途半端な言葉や表出は逆に悩ませたり、不安を与える事に繋がるかもしれないと身をもって学びました。

投稿者:

たろみち

簡単な自己紹介をさせていただきます。 病院でリハビリの仕事をしています。医療従事者としてはそれなりに健康管理をしてきたつもりです。 2017年11月33歳となり、子どもには恵まれ、妻のお腹の中にも3人目が出来て喜びの最中、癌になりました。 家族や仲間や応援してくれる方々の事を想いながら、前向きに上咽頭がんと治療後の副作用と向き合っています。 残念ながら2年後には脊椎に転移してしまいました。 2019年6月現在、転移性脊椎腫瘍と闘っています。

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